青い空に向かって何本もの七夕の笹が伸びている。長屋の軒先を越えて、店の屋根を越えて、きらきらと色とりどりの短冊を光らせながら。
江戸っ子は競って背の高い笹を立てた。祈りが届くようにか願いが叶うようにか、それともただ高さを誇っているだけかもしれない。
人間たちの他愛ない、それでも切実な願いが天へ天へと伸びていく。
往壓は短冊がひらひらと青空の中に翻っているのを見ていた。彼の住む長屋でも入り口に大きな笹を立てたのだ。
長屋には子供も多い。寺子屋で字を習っている子供たちは自分で思い思いに書き散らした。紙いっぱいに「だんご」と書いたのは長吉だろう。「とうちゃんがさけをのまないやうに」と書いたのはお光か。「ねこになる」と書いたのはだれだろう?「はつゆめ」と書いてあるのはなにか間違えている。
とにかく笹の背は高いので、上のほうの文字は読めない。それでも子供たちのわがままでかわいい願いは読んでいて飽きなかった。
「にんげんってほんとに妙な生き物だねえ」
不意に耳元に息がかかった。振り返るといつ来たのか豊川が立っている。そういえば長屋の裏にも稲荷はあったのだ。
「神も仏もいないとか言いながら、あんな紙きれに書いたものが叶うと思ってんのかね」
「そう言うなよ。夢を見るのが人ってやつだ」
「願いは夢なのかい?」
「願っているうちは夢さ」
「叶ったら?」
「嬉しいさ」
豊川は青空の中の短冊を見上げた。
「この笹は今日燃やすんだろ」
「そうだ。それで願いは煙となり天へ昇って神様のもとへいくのさ」
「まさか、信じてないだろ」
往壓は笑って答えなかった。豊川は視線を動かして短冊を読んだ。
「べっこうあめってのは何の願いだい?」
「べっこうあめが食べたいんだろ」
「買えるじゃないか」
「買ってもらえねえんだよ」
「けちくさい夢だねえ」
「あんたも神さまのはしくれならなんか叶えてやっちゃあどうだい?」
往壓は豊川に笑いかけた。
「一年に一度、太っ腹なところを見せてくれよ」
「そうだねえ」
豊川は手首のない左の袖を振った。そこからひゆっと白いものが飛び出し、屋根を蹴って笹の上のほうを横切った。
ひらり、と。
一枚の短冊の糸が切れてそれがひらひらと落ちてきた。
「あの短冊の願いを叶えてやろうか」
「へえ、いいところがあるじゃねえか。富くじ一万両とかだと面白いがな」
ひらひらひら。
赤い短冊がゆっくり降りてくる。豊川は白い腕を伸ばしてそれを掴んだ。
「………おや」
短冊の願いを読んだ豊川はいきなりあごをもたげて笑い出した。
「これはいい、これはいい。これならずいぶんあたし好みだ。この願い、笹が燃えるまでに必ず叶えてやろう」
「おい―――?」
豊川の笑い声に不吉な音を感じ、往壓はその短冊を奪い取った。
「! ………これは」
往壓が顔を上げた時には豊川の姿は消えていた。往壓は短冊にもう一度目を落とした。そこには稚拙な文字でこう書きなぐってあった。
とめきちなんかしんじゃえ